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三丘温泉について

効能が高く健全な温泉
三丘(みつお)温泉

三丘温泉は、石城山県立自然公園の中にある閑静な温泉地。温泉利用の効果が十分期待され、かつ、健全な保養地として活用される温泉地として、昭和36年に国民保養温泉地の指定を受けています(2022年1月現在、全国で77カ所、山口県では2カ所)。

現在は、バーデンハウス三丘、割烹旅館三水園、東善寺やすらぎの里と、個性のまったく違う3つの施設が営業しています。

三丘温泉上から見た全景
三丘温泉空から見た眺望

 

 

三丘温泉の発見

三丘温泉は昭和30年台に発見された比較的若い温泉です。

キジヤ台風を代表とする大きな台風災害が頻発している時に、その荒れ狂う島田川で発見されました。三丘村の時代でしたが、ちょうど熊毛町合併の頃になります。これ幸いと村中で湧き上がり、温泉キャラバン隊を出して、大宣伝したと言います。その様子は、『三丘開邑三百六十年誌』p73に「昭和30年(1955)12・19島田川洲に温泉源を発見す」という記述があります。

その後、以下のような三丘温泉関連の記述が残っています。

昭和31年(1956)1/21三丘温泉ボーリング起工式
4/13三丘温泉開発推進協議会開設
9/28温泉送湯施設起工式
9/29町村合併に依り三丘村廃庁式
昭和32年(1957)4/8三丘温泉玉の湯竣工
6/26三丘温泉東善寺ボーリング起工
7/28三丘温泉十楽荘起工式
(12月20日竣工)
昭和33年(1958)9/6三丘温泉えびす屋開業
昭和35年(1960)6/8三丘国民温泉計画につき厚生省実地調査
『三丘開邑三百六十年誌』より

『三丘見て歩き』(熊毛町三丘地区生涯学習推進協議会・三丘徳修館発行)p34には、「川尻地区に開けた温泉郷で、最初の泉源は島田川の中にあり、一羽の鶴がここで療養していたとか、明治の初め材木を運ぶ川舟の船頭が冬にこの水で手足を温めていたといわれています」とあるので、温泉を掘る以前から、その存在は知られていたようです。

『熊毛町史』P862にも、三丘温泉の記述があります。

「昭和30年に島田川の川底から温泉の自然湧出が発見された。三丘村では掘削の許可を取り、31年に山口大学の高橋教授に調査を依頼、地下80mから37度の泉水を湧出させることに成功した。成分は、硫黄・硫化水素・ラドンなどの単純硫黄泉・放射能泉で神経痛・リュウマチなど神経・筋肉に効果があるとされた。31年夏に野天風呂を作り、試用した。

35年頃には、ポンプくみ出しによる二本の泉源を持っていた。第一泉源は68m掘削で34.5度、第二泉源は101m掘削で18度の泉水が利用されていた。

温泉旅館も農協の経営する十楽荘(23室80名)のほか玉の湯(10室50名)、えびす屋(8室35名)、三水園(9室10名)、竹の家(つるや)(7室35名)の5軒があった」

『熊毛町史P862

初期には5軒の旅館があり、今よりもかなり賑わっていたことがわかります。

当時の三丘温泉の看板
当時の三丘温泉の看板
31年の野天風呂試用(徳永幸一撮影)
31年の野天風呂試用(徳永幸一撮影)
第一泉源(徳永豊撮影)
第一泉源(徳永豊撮影)
くすのき泉源(下郷地区の田んぼの中・徳永豊撮影)
くすのき泉源(下郷地区の田んぼの中・徳永豊撮影)

 

温泉宿の歴史

[初期の三丘温泉]

温泉発見後、まず地元住民の一人が「玉の湯」を建設、その後、「十楽荘」、「えびす屋」と次々に旅館が開業しました。

昭和32年4月8日
三丘温泉「玉の湯」竣工(現在廃業)
地元で食料品店を営んでいた徳永米助が開業しました。

昭和32年12月20日
三丘温泉「十楽荘」竣工(現在バーデンハウス三丘)。
農協観光がつくった温泉旅館です。

十楽荘時代(絵葉書から)
十楽荘時代(絵葉書から)
現在のバーデンハウス三丘(HPより)
現在のバーデンハウス三丘(HPより)

昭和33年9月6日
三丘温泉えびす屋開業(現在廃業)

岩国市の方が開業されましたが、高齢で辞められたときは、その後をつるや旅館が買われてしばらく営業されていました。現在建物は解体され、東善寺川河川公園となっています。

三水園(現在営業中)→三水園

昭和42年頃と思われますが、まだ東善寺の道も整備されていない時期に防府市から来られた橋本勝利氏が開業しました。現在は三代目が後を引き継ぎ、割烹旅館として、有名です。料理には定評があり、遠くからも来客があります。

建設当時(徳永幸一撮影)
建設当時(徳永幸一撮影)
現在の三水園(徳永豊撮影)
現在の三水園(徳永豊撮影)

つるや旅館(現在廃業)

三水園と同じ時期に防府市から来られました。

建設当時(徳永幸一撮影)
建設当時(徳永幸一撮影)
営業時のつるや(熊毛町史から)
営業時のつるや(熊毛町史から)

東善寺やすらぎの里(現在営業中)→東善寺やすらぎの里

平成8年8月8日に熊毛町が農業構造改善事業の補助金を活用して、建設しました。目的は、地域資源活用型構造改善事業で、温泉を地域資源として熊毛地域の拠点として位置付け、交流施設として建設されたものです。その後、周南市合併に伴い、現在は指定管理者制度を活用して、民間業者がその経営を担っています。

東善寺やすらぎの里(徳永豊撮影)
東善寺やすらぎの里(徳永豊撮影)

バーデンハウス三丘(現在営業中)バーデンハウス三丘

1988年、下松市の山陽観光株式会社が、廃業した十楽荘を買い取り、大幅にリニューアルして開業しました。

グラウンドゴルフができ、歌謡ショーなども開催し、宴会場や宿泊設備もある本格的な施設でしたが、現在は入浴だけの営業になっています。

 

泉源

第1泉源は、島田川内にあり、現在この泉源はバーデンハウス三丘のみが使っています。

第2泉源は、つる屋旅館の横に泉源がありましたが、湯量が少なくなり、第3泉源(楠泉源)を昭和60年代に下郷地区の田んぼの中に新たに堀りました。

現在では、バーデンハウス三丘、三水園、東善寺やすらぎの里、すべてにこの泉源からお湯が供給されています。

第1泉源

お湯の泉質アルカリ性単純硫黄温泉
温度33.9℃
お湯の色無色透明
お湯のにおいほのかな硫黄臭(弱硫化水素臭)
源泉の飲泉できません(無味)
効能自律神経不安定症・不眠症・うつ状態・アトピー性皮膚炎・尋常性乾癬・慢性湿疹・表皮化膿症・筋肉もしくは関節の慢性的な痛み又はこわばり(関節リウマチ)、変形性関節症・腰痛症・神経痛・五十肩・打撲・捻挫などの慢性期・運動麻痺における筋肉のこわばり・冷え性・末梢循環障害・胃腸機能の低下・軽度高血圧・糖尿病・軽い高コレステロール血症・軽い喘息又は肺気腫・痔の痛み・ストレスによる諸症状・病後回復期・疲労回復・健康増進
禁忌症皮膚または粘膜の過敏な人、高齢者の皮膚乾燥症・病気の活動期(特に熱のあるとき)・活動性の結核・進行した悪性腫瘍または高度の貧血など身体衰弱が著しい場合・少し動くと息苦しくなるような重い心臓または肺の病気、むくみのあるような重い腎臓の病気、消化管出血、目に見える出血があるとき・慢性の病気の急性憎悪期

楠泉源

お湯の泉質アルカリ性単純硫黄・放射能泉
温度28.6℃
お湯の色無色透明
お湯のにおいほのかな硫黄臭(弱硫化水素臭)
源泉の飲泉できません(無味)
効能痛風・動脈硬化症・高血圧症・慢性胆嚢炎・胆石症・慢性皮膚病・慢性婦人病・きりきず・糖尿病・神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・打ち身・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進
禁忌症皮膚・粘膜の過敏な人、特に光線過敏症の人。急性疾患(特に熱のある場合)、活動性の結核、悪性腫瘍、重い心臓病、呼吸不全、腎不全、出血性疾患、高度の貧血、その他一般に病勢進行中の疾患、妊娠中(特に初期と末期)
(資料提供/バーデンハウス三丘)

 

 

三丘温泉音頭

温泉が賑わっていたころには、こんな歌も歌われていました。

三丘温泉音頭  有馬草々子 作詞 大村能章 作曲

ハア ヨイヨイヨイヤサト
三丘よいとこ宝の里よ
掘れば湯が出る玉が出る ソレ玉が出るサテ
ソレジャケンノンタ オイデマセ オイデマセ

ハア ヨイヨイヨイヤサト
八代山越え 三丘の里へ
湯治通いの 女夫(めおと)鶴 ソレ女夫鶴サテ
ソレジャケンノンタ オイデマセ オイデマセ

ハア ヨイヨイヨイヤサト
色が白うて 肌理(きめ)こまやかに
お湯のおかげで 玉の肌 ソレ玉の肌サテ
ソレジャケンノンタ オイデマセ オイデマセ

ハア ヨイヨイヨイヤサト
蓬莱橋から上下見れば
亀も遊べば鶴もとぶ ソレ鶴もとぶサテ
ソレジャケンノンタ オイデマセ オイデマセ

ハア ヨイヨイヨイヤサト
山之内から大井手かけて
釣るも糸しや鮎(愛)と鯉(恋) ソレ鮎と鯉サテ
ソレジャケンノンタ オイデマセ オイデマセ

ハア ヨイヨイヨイヤサト
お城山から九郎岩かけて
みんな茸狩りもみじ狩り ソレもみじ狩りサテ
ソレジャケンノンタ オイデマセ オイデマセ

『熊毛町史』p863

(文/徳永 豊 ※「玉の湯」創業者、徳永米助の孫)